民法改正と原状回復義務の範囲について
賃貸借終了時の原状回復義務は、物件を管理・運営する賃貸人にとって重要な事項となります。
「契約書を交わしているから問題ない」と思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、これまでの裁判例などをみると、例え契約書で合意していたとしても、賃貸人の思ってるような判決に至らないケースも多々あります。
本稿では、賃貸人の立場に立って「民法改正と原状回復義務」をどのように理解し、何に気をつけるべきか、について解説します。
目次
改正民法における原状回復義務規定の追加
令和2年4月1日から施行される改正民法では、賃貸借契約の賃借人の原状回復義務に関して、以下の条項が新設されました。
改正民法第621条 / 賃借人は、賃借物を受け取った後にこれに生じた損傷(通常の使用及び収益によって生じた賃借物の損耗並びに賃借物の経年変化を除く。以下この条において同じ。)がある場合において、賃貸借が終了したときは、その損傷を原状に復する義務を負う。ただし、その損傷が賃借人の責めに帰することができない事由によるものであるときは、この限りでない。
改正前民法下の最高裁判例(最判平成17年12月16日判決(最高裁判所裁判集民事218号1239頁)では、「原則として賃借人は特約がある場合を除いて、通常損耗の回復義務を負うものではない」と判示しており、今回の改正民法にて追加された上記の条項は、かかる判例法理を明文化したものになります。
通常損耗補修特約の内容次第では不十分となる
賃貸人又は管理会社としては「通常損耗も賃借人の負担とする」ために、契約書等において通常損耗補修特約を入れるケースが多いです。例えば以下のような内容です。
- 賃借人は、本件賃貸借契約が終了した場合には、賃借人の負担をもって本物件を原状に復旧させる
このように契約書に明記しておけば「通常損耗も賃借人の負担とできる」と考える方も多いでしょう。
しかし、これまでの裁判例を見ると、上記のような内容だけでは、裁判で否定される可能性が高いです。
冒頭に記載した最高裁判決では、
賃借人が社会通念上通常の使用をした場合に生ずる賃借物件の劣化又は価値の減少を意味する通常損耗については原則として賃借人に現状回復義務がない
としており、例外的に賃借人に通常損耗についての原状回復義務が認められるためには、
少なくとも、賃借人が補修費用を負担することになる通常損耗の範囲が賃貸借契約書の条項自体に具体的に明記されているか、仮に賃貸借契約書では明らかでない場合には、賃貸人が口頭により説明し、賃借人がその旨を明確に認識し、それを合意の内容としたものと認められるなど、その旨の特約(以下「通常損耗補修特約」という)が明確に合意されていることが必要であると解するのが相当である(最高裁平成17年12月16日判決)
としています。
つまり、通常損耗補修特約を有効とし「通常損耗も賃借人の負担とする」ためには、
- 賃借人の負担の範囲を具体的に明記するしていること
- 賃借人が補修費用の負担を明確に合意していること
の2点が必要となります。
裁判例から見る通常損耗補修特約の有効性
それでは、最高裁判決の考えを踏まえ、通常損耗補修特約を有効とするためには具体的にどのような事項を合意することが必要か、裁判例を通じて確認してみましょう。
事例①
結果:否定
理由:賃借人が補修費用を負担することとなる通常損耗の範囲を具体的に明記したものと認めることはできないため
事例②
結果:否定
理由:賃借人の負担すべき原状回復の範囲等について包括的に定めるにとどまり、その範囲が具体的に明らかにされておらず、これが通常損耗を含む趣旨であることが一義的に明白であるとはいえないため
事例③
結果:有効
理由:単に賃借人が通常損耗につき原状回復義務を負担することのみならず、賃借人が負担する原状回復工事の内容が契約の条項自体に具体的に定められているので、賃借人が補修費用を負担することになる通常損耗の範囲が賃貸借契約書の条項自体に具体的に明記されていると言うことができるため
判例から分かること
事例①②が否定となった理由
各条項から賃借人の負担の範囲を「ある程度特定した」と言うようにも読めなくありません。しかし裁判所はこの程度の記載では、
- 賃借人の負担の範囲を具体的に明記するしていること
- 賃借人が補修費用の負担を明確に合意していること
という、要件を充たさないとしています。よって否定されました。
事例③が有効となった理由
賃借人が負担する原状回復工事の内容が契約の条項自体に「具体的に定められている」として有効とされています。「通常損耗も賃借人の負担とする」特約が認められるためには、賃借人がどの個所をどのようにして復旧させるのかまで明確になっており、賃借人が負担を明確に認識できる程度の記載が求めらる、ということが分かります。
加えて、判例解説ではこの要件を充たすためには、
賃借人が故意又は過失によって傷つけたり汚したりしたもの(特別損耗)だけではなく日常生活をする上で生じた汚損や破損(通常損耗)であっても賃借人が補修費用を負担すること、及びその対象となる通常損耗の範囲を明示すること、これに加えて具体的な金額についても認識できるものであることが必要である(和根﨑直樹・判例タイムズ1245号53頁)
といわれています。「具体的な金額」については、ある程度の幅のある金額でも問題ないと考えますが、金額についての記載は必要だと認識できます。
このように、「通常損耗も賃借人の負担とする」特約が認められるには、ハードルは高いです。現に、居住用賃貸借の事案では、専門業者によるハウスクリーニングを賃借人負担で行うことを義務づけた特約(金額を賃貸借契約書に明示しておくもの)を除けば、通常損耗補修特約の効力が肯定された例はほとんどみられないといわれています(渡辺晋『建物賃貸借』〔大成出版社、2014年〕548頁)。
客観的・合理的理由も必要
有効的な通常損耗補修特約を設けるには、契約書において「具体的に明記」の要件を充たすことが重要だと解説してきました。
しかし、仮に「明確に明示した上で合意」を得ていたとしても、特に居住用賃貸借契約においては、通常損耗補修特約が無効になる場合があります。例えば「賃借人に過大な負担を負わせるもの」と解される場合などです。
このようなケースでは、要件を満たしていたとしても、公序良俗違反(民法90条)や消費者の利益を一方的に害する条項(消費者契約法10条)を理由にして、通常損耗補修特約が無効になることがあります。
このような観点から、通常損耗補修特約が有効であるためには、「具体的に明記」の要件を充たすことに加えて、「特約の必要性があり、かつ、暴利的でないなどの客観的・合理的理由が存在すること」が必要になります。
まとめ
いかがでしたでしょうか。上記の内容について、既に十分に理解されている賃貸人又は管理会社様もいらっしゃるかもしれません。
が、当職が見てきた多くの契約書では、現状回復に関する条項について「抽象的な記載」にとどまっているものも少なくありません。通常損耗補修特約が有効であるかどうかは、賃貸人にとって重要な事項であるため、改めて自社の契約書を見直してみると良いでしょう。
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